甚作にんにくでまちおこし
北海道の南に位置する江差町で、まちおこしをするために、一人の男が動き出しました。それは、今では青森の田子町で有名なホワイト六片にんにくを江差町の名物にするということから始まりました。そのにんにくは”甚作にんにく”と名付けられ、究極の特別栽培で土つくりから試行錯誤を繰り返し、今では各メディアからの取材やネットショップ運営者から注目されるまでに至りました。男は、生まれ育った江差町が、この”甚作にんにく”を起爆剤として、若者と高齢者が共に働ける職場を作り出すことと、農業での上場企業を目指しております。また、農業とエコを融合させ、休耕地をメガソーラー発電機地として利用することなども計画しており、江差町から発信できる産業を伝えていきます。
株式会社品川甚作農園では、ブランドにんにく『甚作にんにく』の他に、お米、じゃがいも、トマト、を生産しております。平成23年より、北海道では珍しい里芋の試験栽培を開始、今後はとうもろこしやきゅうりなど、他と差別化したブランド品種を農薬を使用せず栽培することに力を入れております。「野菜は人間にとって安心して食べられるものであること」をモットーに、少人数でも可能な水耕栽培も計画しております。
江差町を元気にしようと立ち上がった男の先祖である品川甚作は、福井県から入植し苦労して江差町に畑などの地を所有した。その地が休耕していくことを防ぐため、ブランドにんにくでまちおこしを目的に、平成21年から試験的ににんにくの栽培に取り組み、平成23年に念願のブランドにんにくが誕生しました。男は、ブランドにんにくの名称を”甚作にんにく”と名付けました。このにんにくは、品川甚作農園独自の「究極の特別栽培」で栽培しており、他のにんにくに比べて臭いも少なくホクホクした食感が特徴です。
江差町に和人が住み着くようになったのは、歴史上では1189年源義経が衣川で自刃した後、藤原泰衡の一族がこの地上に上陸(渡党)したといわれており、ここ江差町が北海道文化の発祥の地と呼ばれております。江戸時代には、日本海航路の北前船によるヒノキアスナロ、ニシンの交易により、人工も3万人をこえ、いわゆる「江差の五月は江戸にもない」とうたわれ、商業の町、文化の町として発展、繁栄を極め、民謡の王様といわれる「江差追分」をはじめとする伝統芸能や生活文化など有形・無形の遺産が数多く伝承・保存されております。また、江差沖で座礁・沈没した、江戸幕府の軍艦「海陽丸」が復元され、幕末のロマンを漂わせております。
現在、江差町では人口10,589人(平成14年3月31日・住民基本台帳による)のうち高齢者の割合が年々増えていく現象が起きています。若者が町を離れていき、活気が失われていくこの江差町をなんとかしようと、一人の男がブランドにんにくで元気な江差町にしようと戦い始めました。このブランドにんにくで元気な企業として、若者と高齢者が一つとなった職場をつくり、若者は高齢者から昔から伝えられてきた知恵を教わり、教わった若者はそれを子へ伝え、農業で年収1000万円以上の社員が存在する組織があってもいいのではないかと考えております。
当農園では、所有している畑で現在使用不能な場所については、売電を目的とした太陽光発電を計画しております。また、作物に必要な燃料なども今後はオール電化やLED・蓄電池などを用い、従来は廃棄していた身体に優しい野菜などをネットショップなどと業務提携を行い、今までにない”エコ農家”を目指しております。